禰宜さんというお仕事

今年は、近所の氏神さんである篠田神社の禰宜という役を頂き

1年間の神社の行事に参加させていただきました。

正月にはしめ縄を作り

2月の節分には筍祭り

10月の秋祭り

祭り前後には準備やおこもり等々

様々な仕事があるのですが

祭りの後の直会では、

神主さんや地元の方の信仰に対する深い心を感じる事ができ

大変貴重な経験をさせていただきました。

本当に感謝しています。

村という社会は

名も亡き者の暮らしの中の美意識の連続の上に成り立っているものであり

その美意識は信仰という場で確認しあえる。

一つの飾り

一つの掃除

一つの思い

神を祭ると言う行為の中で

確認し合い

次に継承していってる事の重要性を感じる一年。

例えば、掃除をするとき

どこまですれば、いいのか?の判断は個々違うのですが

神を前に意識通う美しさがあり

そこが、直接村の空気を作る重要な判断基準となっている。

「美しい村の氏神さんは美しい」

これは、確実にいえることではないのかな?

暮らしの連続は

個々の判断にゆだねるのではなく

ひとまず、神というものの前にされけだして

考える。

そこには、人以外の自然の造形にもつながる信仰があり

人と自然の交差点が

神社と言う空間の中に表現されていると痛感。

神社の杜は

何故、自然のままで置いておくべきであることが

はじめて、実感として分かった一年でした。

紙漉きを仕事とし、

この綾部にやってきたのですが

学ぶところは暮らしの中からの部分が多く

そういう意味で伝統的な素材を作る又は触れる事に

意義を感じる。

禰宜と言う仕事。

今の世の中に足りないことを感じさせてくれる

仕事でした。

仕える事。

 

 

 


(ハタノワタル)